せどり 副業 日記

せどり(転売)は是か非か?よくある批判に対して見解を述べます

こんにちは、滝谷ハジメです。

今回はせどり(転売)の是非について書いていこうと思います。

昨今転売,せどりのハードルがかなり低くなっている事もあり
批判する側、批判される側両者の意見を見る機会が多くなってきたため記事を1本書こうと思ったところであります。

結論から言うと私の見解は
転売は是。そして程度問題もある。
です。この結論に至るまでの過程をお話ししていきます。

それでは始めて行きましょう!

転売が悪とされる理由

是非を語る前に『転売はなぜ批判されるのだろうか?』
というところですね。

・何も生み出していない
・消費者との住み分けができていない

まっとうな理由としてはこの2つに集約されるかと思います。

また、まっとうではない理由は3つ紹介。
・違法行為を働いているから
・個人だから(会社じゃないから)
・儲けているから

<真っ当ではない理由①>違法行為を働いているから

転売行為そのものは違法ではありません。
まさに筋違いですね。

例えるなら
『オリンピック選手はみんなステロイドを使っている』
レベルの筋違い。

<真っ当ではない理由②>会社じゃないから

会社であれば、あくどい転売をしていても許せるのでしょうか?
結論はNoでしょう。

個人はダメで会社は良いという価値観は不要です。
なぜなら誰でも会社を立ち上げることができるからですね。

<真っ当ではない理由③>儲けているから

”金持ちはみんな悪人”と同レベル。
わざわざ紹介するまでもない詭弁ですね。

私の見解

まっとうな理由である
・何も生み出していない
・消費者との住み分けができていない
に対して私なりの見解を述べさせていただきます。

何も生み出していない

おそらくこれが転売批判の理由として1番に上がるのかなと思われます。

転売は何も生み出していない

これはほぼほぼ間違っていない事実でしょう。

「何も生んでいないやつが金銭を得るのはおかしい」
という論調ですね。

しかし、ここには一つ落とし穴があります。
生み出していないのは物質的な価値ということです。

例えば
スーパーで買うコーラ
富士山の山頂で買うコーラ
どちらに価値がありますか?という話です。

事実として富士山の山頂のコーラは高いです。
しかも買う人は「高いな」と思いつつも買うわけなんですね。

この時、山小屋の人は何も生み出していないのでしょうか?
コーラの物質的な価値はそのままですよね?

結論から言うと、
山小屋の人は”富士山でコーラを飲める”という情報的な価値を生み出している。
ということです。

そう、物質的な価値は生み出していなくても情報的な価値は生み出している訳です。

無条件に高いものは買わないですよね?
人は同じものであっても情報的な価値が高いものであれば買ってしまいます。
つまり、利益が出る以上何かしらの付加価値が生み出されているということですね。

ちなみに、物質的な価値,情報的な価値については
「君は一万円札を破れるか? 著:苫米地英人」で学びました。

また、本についてまとめた記事もあるためよかったらどうぞ。

 

とはいえ限定品やswitchの転売等で行われる
供給側を絞りに行くことで希少性という付加価値を上げる
という方法は私は好ましく思っていません。理由はなく、感情論です。

消費者との住み分けができていない

通常通りであれば

メーカー → 卸売り → 小売店 → 消費者

であるのに対して

メーカー → 卸売り → 小売店 → 転売ヤー → 消費者

という本来消費者が入るべきポジションに割って入っているため
「これはおかしいんじゃないか」と批判されているわけですね。

真っ当です。

しかし、店舗で誰からも見向きもされない廃盤の商品を仕入れて売るというパターンもあります。
その場合、
店舗は本来売れなかったものが売れて
買った人は本来であれば手に入らない廃盤商品が手に入り
転売ヤーは利益を上げることができます
みんなが笑顔になれる、良い取引ですよね?
また、店舗の在庫リスクを引き受けるという考え方もできるわけです。

そのため「消費者が入るべきポジションに割って入る」ことそのものは悪ではないと私は思います。

程度問題ということですね。

結論

ここまでの話をまとめると

<転売は何も生み出していない>
利益が出ている以上、何かしら情報的な価値が付与されていると考えました。
ただし、供給を絞るやり方は感情論で良しにはできません。

<消費者との住み分けができていない>
同意。ただし、住み分けができていないことで
店舗の在庫リスクを引き受ける形で利益を生むパターンもあるため
一概に住み分けができていないことがダメとは思わない。
結論程度問題である。

ということになりました。
つまり、転売そのものについては是であると私は判断します。
ただし、程度によっては批判されてしかるべきものとも考えています。

あなたの結論はどのようになりましたか?

以上、今回はここまでです。

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