今回は『思考停止という病 著:苫米地英人』から
生命の定義は”ランダムウォーク”と”ヒルクライム”である。
という主張について書いていこうと思います。
以前、トゥールミンロジックについての記事でこの本から引用して書いた記事もあります。いくつも記事が書けるレベルで面白い本なのでオススメです。
それでは、早速始めて行きましょう!
生命現象の定義とは?
簡単に言えば「何をしていたら生命と呼べる?」という事ですね。
ベタを飼っている私はベタが生き物なのは分かります。
しかし、生き物とそうでないものは厳密に何が違うかという事は考えた事がありませんでした。
例えば『酸素を吸収している』と定義した場合、炎の燃焼ですら生命と呼ぶことが出来てしまいます。
そこで、アルゼンチン生まれの数学者、グレゴリー・チャイティンは
「スペース」を「ランダムウォーク」しながら「ヒルクライミング」するもの
と生命現象を定義しました。
グレゴリー・チャイティンの生命現象の定義
これだけだとルー大柴の言葉の様に思ってしまうかもしれませんね。
紐といて行くと
制約のある空間(スペース)
を
次の予測が出来ない突然変異(ランダムウォーク)
しながら
その空間を上がっていく(ヒルクライミング)
する
という事です。
ちょっとピンと来ないかもしれませんね。
例を2つ挙げます。
生命現象と呼べない例:水
起伏のある地形を思い浮かべてください。
思い浮かべた地形が『スペース』です。
そこに水を流した時、水は起伏の底にとどまるでしょう。
つまりは『ランダムウォーク』をしないという事です。
また、もし「風が吹いたら動くかもしれない」というランダム要素があったとしても一段ずつ起伏を登っていくことは無いですよね。『ヒルクライミング』はあり得ない訳です。
このことから、水は生き物では無いと言える訳ですね。
生命現象と呼べる例:ゲーム「スピーシズ」の生き物
この定義であればゲームの生き物ですら生物現象をしていると言う事が出来ます。
もともとグレゴリー・チャイティンは『数学で生命を定義する』という名目で生命現象を定義したため、数学の塊であるゲームがこの定義を満たしていても不自然ではありません。
動画を見てもらうと分かる通り
ゲームの中の空間(スペース)
を
次の予測が出来ない歩行(ランダムウォーク)
をしながら
ゲーム内の空間を上がっていく(ヒルクライミング)
という生命現象を取っています。
「ゲームが生き物なんてありえない」と思うかもしれませんね。
あくまで「ゲームの中の空間」においてこれは生き物であると考えるとしっくりきます。
この論の面白いポイント
これだけ聞いたら「へぇ~そうなんだ」というトリビアですね。
しかし、ここからが面白いポイントです。
著者、苫米地英人氏はさらに進み進化や思考について書いています。
思考の生命現象
本の中では『抽象度を上げる』ということが良く書かれています。
抽象度を上げると一口に言われてもピンと来ないですよね。
例えば『あなた』を例にします「あなた」を構成している物は何でしょうか?
・両親の子供として生まれた『あなた』
・○○市に住む『あなた』
・△県に住む『あなた』
・日本に住む『あなた』
・地球に住む『あなた』
というように様々な言い方ができます。
より詳細に『あなた』を特定するためには抽象度を低く、具体的にする必要があります。
しかし、抽象度を上げて考える事が出来ると行動が全く変わってきます。
・家族のための行動
・○○市のための行動
・△県のための行動
・日本のための行動
・地球のための行動
抽象度が高ければ見えてくるものが違う訳ですね。
そして、本書では「抽象度を上げる=ヒルクライミング」と結びつけています。
そして、そのヒルクライミングは思考により成すことができる。
そう考えると物事を考えるだけでワクワクしませんか?
進化の生命現象
本書では現状の最適化を否定しています。
そして、ここが私の一番印象深かったポイントです。
例として「フィンチのくちばし」が登場します。
フィンチのくちばし
フィンチのくちばしとはダーウィンが研究をした鳥の名前フィンチから来ています。
フィンチはガラパゴス諸島に生息しており、生息する地域によって食べる物が違い、それぞれが食べ物を食べやすい形のくちばしを持っていることから進化論を裏付けているという話です。
出典:コトバンク ダーウィンフィンチより
『同じ鳥が食べ物を食べやすいように進化している』という話は面白いですよね。
しかし、本書ではそのような最適化は退化であると主張しています。
最適化は退化である
なぜ最適化は退化なのだろう?
その答えは長々と説明する必要はありません。本の文章をそのまま書きます。
あったものが無くなっていくのは、役に立たず不要になったからです。
ムダなものが無くなっていくのが進化であれば、歩く必要がなくなったら足がなくなり、考える必要がなくなったら脳がなくなるということです。
こんなことを進化と言える言えるはずはありません。
正直読んでいて声が出ましたね。このフレーズを書きたくてこの記事を書いたと言っても過言ではありません。
「要らなくなったからやめる」という最適化は突き詰めれば虚無。
また、本書では『魚が陸に上がること』を進化の一例として挙げています。
出来なかった事が出来るようになる(ヒルクライミング)という事ですね。
進化だけでなく、普段の生活や仕事も現状の最適化をしているかもしれません。
それも本書で言えば退化という話。
ランダムウォークとヒルクライミングで進化を促しましょう!