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孤立したチンパンジーが手話で仲間を『虫』と表現した事から得た学び

チンパンジーが手話を覚えた話が印象的で今でも思い出し、ついつい考えてしまう事があるため記事にしようと思います。

どうやら元は2022年1月の記事。もっと古いものかと思っていましたが案外新しい。

手話チンパンの概要

手話チンパンの元ネタはコチラ

ざっくり概要だけ抜き取ると

  • 研究者は他の霊長類に手話を使うように教えることに成功しましたが、これらの教育を受けた類人猿は、機会が与えられたとしても、他の種にこの言語を教えたことはありません。
  • あるケースでは、手話を教えられていたデューク大学霊長類施設のチンパンジーが彼の部隊と再会しました。彼は新しいスキルセットを使用して、仲間のチンパンジーと通信しようとしました。
  • 一週間の試みの後、彼の飼育係は彼が自分自身を孤立させていたパドックの隅で彼を見つけました。彼らが手話で彼に他のチンパンジーと一緒にいなかった理由を尋ねたとき、彼は「彼らは昆虫だから」とサインバックしました。

元々の記事ではチンパンジーが手話で仲間を虫と表現したことは本題では無いため特にこれ以降触れられていませんでした。

しかし、チンパンジーが仲間を虫と表現した事はとても驚きであり、ネット上でも多くの反響があった話題です。

まとめサイトにも取り上げられています。

手話チンパンから学べる事

手話チンパンを一言で言ってしまえば「群れから孤立したチンパンジーが手話を覚え、仲間を虫呼ばわりした」だけ。

しかし、記憶にこびりついて離れないのは恐らく「これを教訓にせよ」と無意識に理解しているからだと私は感じ取りました。

それなら無意識な理解では無く、意識下に引きずり出してどのような教訓を持てば良いのかを開示していこうと思います。

身近に潜む手話チンパン

群れから孤立した者が何かしらの情報を得て既存のコミュニティを見下すという現象は至る所で見受けられるのではないでしょうか?

職場の人は女とギャンブルの話しかしない

といったネットの書き込み、見た事がある方も多いと思います。

一昔前では『意識高い系』みたいな存在が周りを見下すのも手話チンパンに該当すると言っても良いでしょう。

そう、手話チンパンは私達の心の中にも存在すると言っても過言ではありません。

手話チンパンは幸福だったのだろうか?

手話チンパンは幸福だったのだろうか?と聞かれても無論私は当事者では無いから分からない。

しかし、仲間を虫と呼ぶのであればきっと幸福からは遠い存在だったのだと私は思う。

手話チンパンが幸福だったのかすらあやふやな土台のため、これ以上考えても仕方が無いが、もし「群れとの関係性」に端を発しているのであれば極論「群れに溶け込む」か「完全に群れと決別する」以外に選択肢が無いということとなる。

ハンパに浮いているから苦しい訳である。これは人も同じ。

そして、手話を覚えた事自体は幸福度に(直接的な)影響を与えていないと私は考えます。

別に手話を覚えていなくてもチンパンジーは「あいつらは虫」と思っていたのかもしれない。

自分自身が手話チンパンになったらどうするか?

私は『所属しているコミュニティを悪く言うな』を手話チンパンから学び取りました。

なぜなら結局のところそのコミュニティに所属している時点でどうにもできないから。

コミュニティに属している以上、手話チンパンは虫と呼んだ仲間と暮らす他無いのである。

それなら『虫』なんて悪く思っても仕方が無い。嫌ならコミュニティを抜ける事が必要。

冒頭に紹介した「職場の人は女とギャンブルの話しかしない」に対しても、話を合わせるためにも女とギャンブルをやってみても良いかもしれないし、本当に嫌ならコミュニティを抜ける他無い。半端が人を苦しめる訳である。

だからもし所属しているコミュニティに対して悪く思っている方が居るのであれば、迎合するか離脱するかを検討してみたら幸福に近づけるのではないかと私は思います。

 

今回は以上です。
最後まで読んでくれてありがとうございました!

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