考え方・思想

宗教勧誘は友達なくすからマジで辞めろ【勧誘された側の体験談あり】

あなたは宗教勧誘をされたことがあるでしょうか?勧誘をする側でしょうか?

私はつい最近宗教勧誘をされました。

この記事では

・宗教勧誘は友達を無くすからやめろ。むしろ宗教自体やるな。
・どうやって宗教勧誘をされたのか、何を思ったのか

を書いて行こうと思います。

宗教勧誘で友達を無くす理由

もし、宗教の勧誘を「このマンガ面白いんだよね」くらいのソフトな認識でやっているのであればその考えは改める必要があります。

なぜなら、勧誘する側からしたら「こんなに良い教えがあるのになぜ?」なんて思うかもしれないけれど勧誘を受けた側からすれば以下のように感じてしまうから。

  • 勧誘のために近づいたのかと思われる
  • 救えないレベルのバカだと思われる

この2つが本当にどうしようも無くてどっちに転んでも友人を続けることが困難であり、「宗教で友達を無くす」という悲しい事態を引き起こしてしまいます。

勧誘のための偽装友人?

本当の友人関係とは何ぞや?なんて解くつもりは無い。

それでも「勧誘のために近づいたのでは?」なんて猜疑心が湧いてしまったら友人関係は続けられないですよね?

たとえ一緒に遊んで居るとき本当に楽しんでいたとしても、猜疑心が起こってしまうともう全ての行動に対して疑いの目が向けられてしまいます。

さらに、この猜疑心を晴らせば良いのかと言うと決してそんな簡単な話では終わりません。

友達に勧めるくらい宗教にハマるのはバカ

私はあまり「バカ」という言葉は使いたくないがこればかりは言い切れる。

宗教にハマるのはバカ

はじめに、別に何かを信仰すること自体は決して悪い事では無いことは明言しておく。

それでも友人に宗教を薦めるレベルにハマってしまったらバカとしか形容できない。

なぜ私がそう思うのかと言うと理由は3つ

・精神世界に傾倒し、現在が蔑ろになる
・無償であることの邪悪さ
・現代日本での宗教の扱われ方を知らない

精神世界に傾倒し、現在が蔑ろになる

スピリチュアルは確かに楽。買って崇めれば良い。現実での努力の泥臭さや実らない時の虚しさと比べたらなんと楽な事だろうか。

人事を尽くして天命を待つという言葉があるけれど、人事を尽くす前に天命を待ってはいけない。

漫画カイジの『あろうことか祈ってしまった』という言葉もありますよね。

スピリチュアルに傾倒し、現在が蔑ろになっているという事態は唾棄すべき思い出として覚えている方も多いのでは無いでしょうか。

だから、逆説的に「重い病気を患った人が現代医学で手を尽くした後に宗教にも頼り、治ってしまう人」に対しては決してバカだとは思わない。医学で手を尽くした上で宗教を頼ったのであればとても賢い選択だと私は思う。

しかし、このエピソードを聞いて「やっぱ宗教ってすごいや」と思う人には問題がある。

すごいのは病気を治した当人であり、現代医学であり、宗教。どれも欠けてはいけない。

レアケースでifが無い以上、どれが一番だったのかは誰にも分かりはしないのだから。

無償はかえって邪悪

ボランティア活動とかいう無償行為。私にとっては非常に理解し難い行為である。

なぜそう思うのか、理由は単純で下っ端はボランティア、高位は金銭を得るという不平等を平気で受け入れているから。

美辞麗句で取り繕おうと坊主は金を得ているし、一般的には職業(ビジネス)だと認められています。

坊主が金を得ている事が悪い事だとは思わないが、それでいて綺麗な言葉で下っ端にはボランティアというタダ働きをさせることには邪悪を感じざるを得ない。

安い金(あるいは無償)で働いてくれるならオーナーとしてはこんなに楽な事は無い。日本の寺が世襲が多いという話は「子供にオイシイ思いをして欲しい」という親心を鑑みればオイシイビジネスであることの裏付けなのかもしれませんね。

ボランティア自体は素晴らしい事かもしれない。でもそれが宗教のように”パッケージ化”されていて上位者は金銭を得ている様では胡散臭い搾取ビジネスでしかないと私は思います。

近所のおっさんが庭から少し出た道も除草しているくらいの無償行為であれば心地よく受け入れられるのに。

現代日本での宗教の扱われ方を知らない

結論から言えば現代日本で宗教をやっているの人は変な目で見られる可能性が高い。

特に現役で働いていたり学生であればなおさらです。

「偏見はダメ!無くしていこう。」と言いたいのは分かりますが、なぜそのように思われているのかを知らなければ解決することは無いでしょう。

宗教を忌み嫌う原因の1つが『勧誘行為』。勧誘行為に辟易しているのです。

少なくとも私は宗教の勧誘行為のおかげで宗教を嫌い、織田信長になりました。

宗教勧誘をされて友達を無くした話

これから私の体験談を書いて行きます。

結論から言うと宗教勧誘をされて友達を無くしました。

順を追って解説していきます。

  1. ドライブ中にスピリチュアルな話をされて集会へ
  2. 宗教のおばさんに解説
  3. 解散・後日談

キッカケはドライブだった

友人と二人でドライブをしていると急に

霊とか死後の世界って信じている?

と質問をされました。正直私自身は何て言ったのか覚えてはいないものの、友達がそういったスピリチュアルが好きなのであればと思い、できるだけ配慮した物言いをしました。

少し話しているうちに「近くに集会があるから寄って行かないか?」と聞かれて何となく頷いてしまったのが運の尽き。

コレ、宗教の勧誘じゃんと気付くのにはしばらく時間がかかってしまいました。

胃の下あたりが渦巻く気持ち悪さを感じたのは今でも覚えています。

集会を開いている施設の横に車を停めて中へ入って行きました。公民館のような内装。

鍛えた肉体は何にも勝る武器

友達に裏切られたようなショックと同時に沸いたのが好奇心。

一体何があるのだろうか?と気になって仕方がありませんでした。こんな記事も書いているくらいなので私は怪しいものが大好きなのでしょう。

ただ、1点懸念があるとすれば脅迫じみたり囲まれたりして暴力がチラついたらどうしようかという不安。

この不安を解消してくれたのは今までに鍛えた肉体でした。

「いざとなったらパイプ椅子でも振り回して暴れたら良い」とどこか楽観視していたかもしれません。

とは言え施設に入ってみたら拍子抜け、居たのはオバちゃんが4~5人とオジさんが1人だけ。

懸垂で鍛えた背筋に若干の萎えを感じつつもオバちゃんの1人がその宗教について解説をしてくれました。

後になって調べてみたら「宗教の勧誘にきた人を殺した」という記事を見かける。どこか安堵。

宗教の解説はちゃんと聞いていない

オバちゃんから解説を受ける前にアンケート用紙に個人情報を書き込むように言われ「できるだけで良い」と言われているものの、できる事ならば何一つ書きたくはありませんでした。

友人が見ている手前「私は織田信長。寺は全て焼く」と偽名を使う訳にもいかないので名前と誕生日だけ記載。

宗教の解説は退屈なので箇条書き。

  • 現世以外の世界がある
  • 知っておいた方が得
  • 約200個のランクがあるランクマッチシステム
  • ランクは修練で上げる

みたいな内容。正直まともに聴いていない。

ニーズが掴めなかったらしい

勧誘の話を一通り聞いた後にネタバラシ的にオバちゃんから言われたのが

「滝谷さんのニーズが掴めなくてしゃべれることは全てしゃべった」

とのこと。

しかし振り返ってみると実のところニーズはあって、私は宗教がクソだと思っているのはあくまで信仰する側の話ということでした。

つまり、「ビジネスとして一緒に宗教やろうや」なんて言われたら案外もっと食いついて話を聞いていたのかもしれません。

絶対にお金は払わない姿勢は自分で自分を褒めたい

解説中にちょこちょこ言われたのが「せっかく来たんだし祈っていきませんか?」というお誘い。

タダ祈るだけであればやっていたかもしれませんが、1000円かかるとのこと。ディズニーランドでも祈って金取る真似はしないのに傲慢すぎるだろ。

「嫌です」と断りました。毅然と断れたのは自分で自分をほめたい。

今日は遅いかもしれないから明日はどうかな?と聞かれても「嫌です」

絶対にお金を払う姿勢を見せませんでした。ケチと罵られようと祈って金取られるのは断固拒否です。

また、そこで友人が支払う姿勢を見せてくれなかったのも若干イラつきポイントだったりする。

「誘ったのはこっちだしさ、お金は出すから祈っていきなよ」なんて言われたら多少の断りづらさを感じるのでは無いでしょうか?つまりは弱点でもあります。

こういった弱点があるのにも関わらず突いてこないのは。怠惰でありナメてる証拠と言っても過言では無いでしょう。

友人の勧誘する姿勢に本気を感じられない事にイラつく、イメージ的にはバッティングセンターに誘っておきながら一打席も立たないくらいの適当加減。

解散・そして後日

その日は何事も無く解散。後日に勧誘を引き延ばされる事もありませんでした。

しかし、心残りは友人の方。

「これからも友人関係やって行けるのだろうか?」という猜疑心を私は感じていました。

それでよく考えると結局ダメな事が分かりました。

それは冒頭に話した通り

・勧誘目的で近付いた
・ガチで宗教にハマった

どちらであっても友人を続けることは不可能だと判断したから。

ちなみに、その後友人からの連絡は来ませんでした。どうやら友人だと思っていたのは私だけのようです。

冒頭に友達を無くしたと書きましたが、本当のところは友達では無かったことが判明したというオチ。

 

今回は以上です。
最後まで読んでくれてありがとうございました!

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