日記

『親ガチャ』という言葉。他責思考は人間が昔から...

最近世間では『親ガチャ』という言葉についての是非が問われていますね。

私自身の親ガチャに対しての見解は

確かに納得はできる。しかし、それがどうしたというのだ。

です。

この記事ではそんな『親ガチャ』という言葉に対しての私なりの考えを書いていこうと思います。

それでは、初めて行きましょう!

親ガチャとは?

パズドラとかモンストとかのソシャゲでガチャってありますよね?

あのガチャの排出対象を自身の親だと考える事を親ガチャと呼ばれています。

子は親を選べません。そのため出てきたレアリティ(他者と比較しての優劣)については手を付けることができませんから。

これだけなら「まぁそうかもね」と思い、論争になりそうな内容ではありませんよね。
この言葉は使われ方に問題があると思います。

問題とされる使い方は”他責”

超簡単に言うと「俺が今ショボいのは親ガチャがハズレだったからだ」という文脈で使われます。

他責であるうちは何も進まないため「良くない言葉」と考える人も居る訳ですね。

そして、親ガチャと言う言葉は大概「親ガチャに外れた」という文脈で使われます。
なぜ「親ガチャの当たり」という言葉が少ないのかと言うとホンモノが居るから

ネットで見るホンモノの当たり

つい先日まとめサイトに挙げられていた人物

https://twicolle-plus.com/articles/644881

あなたが一般人の感覚を持つ人であれば「これには敵わない」という感情が芽生えるのではないでしょうか?

このようなホンモノの「親ガチャ当たり」を見てしまった後に、自分はどうだろうかと考えるとおそらく頑張っても下から3番目,4番目が良い位でしょう。そしてそれは”ガチャ”のレアリティは5~8段階くらいという認識から作られているのではないでしょうか。

あまりにも外れ値を1番に据えざるを得ないため、一般人の間で優れていようと”どんぐりの背比べ”に感じてしまうでしょう。

他責思考は薬であり、毒

先ほど登場した「他責」という考え方、気持ちは楽になる薬ですが前に進めなくなる毒でもあります。

なぜなら「あいつが悪い」であれば”あいつ”を直せば現状を良くすることができますが、他人を変えることは非常に大変です。

自分が変わるためには「私が悪い」と考える必要がある訳なんですね。

そして、他責思考はたくさんの場所に仕込まれ私たちを取り巻いています。

娯楽の”他責思考”


ここ最近のゲームは「負けた事を味方のせいにできるゲームが流行っている」と言われることがあります。

確かに言われてみると

少数の数人でチームを組んで戦うバトルロワイアル(APEXやフォートナイトなど)
少数の数人でチームを組んで戦うMOBA(LoLやポケモンユナイトなど)

といったゲームが流行していることもあり頷けます。

しかし、「負けた事を誰かのせいにできるゲーム」という見方で考えると昔からそのようなゲームはたくさんありました。

さらに言えばすべての勝負事は相手が居てこそできる事です。そのため、負けた事に対して「あいつが強かったから負けた」という言葉は他責に他ならないでしょう。

宗教は古くからある他責思考

宗教は他責思考も取り込んで作られて作られています。

昔のキリスト教の考えでは
人間が労働をしなければいけないのはアダムが神に背き知恵の実を手にした罰
とされていました。

「なぜ働けなければならないのか」という問いに対しての他責に他ならないでしょう。

また、ニーチェの奴隷道徳という言葉を聞いたことがある方も居るでしょう。
超簡単に言うと支配者は卑しく悪い奴支配されている私たちが清く正しいという考え方です。

奴隷道徳は本来、「君主‐奴隷道徳」という言葉で1対になっているため詳しく知りたい方は本を読んでみる事をオススメします。

つまり何が言いたいのかというと「昔から人は他責にしてきた」という事ですね。

もちろん、やっていられない現状を他者のせいにすることで気持ちは安らぎますが...

さいごに

他責だの親ガチャだろうと結局は配られたカードで勝負する他ありません。

スヌーピーもそう言っています。

(画像引用)マイナビ

また、配られたカードがあまりにもショボいと感じたら

俺が参加するからには俺のルールでやらしてもらう
王手もアリ、ポンでもチーでもなんでもアリだ!

という私の好きなオメガトライブの言葉を思い出してください。
下らないルールごとぶち壊す。そんな気迫。

オメガトライブについてはコチラ

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